角谷賢治・公式サイト

角谷賢治

●親友「良和くん」に誇れる生き方をする!

北海道芦別市で高校まで暮らしていました。

両親が高校2年生の時に離婚して、母、弟と別れて暮らすことになりました。同居の父親とは
もともと相性が合わず、益々うまくゆかず、それ以来生活が荒れて、私の心は知らないうちに
少しずつ暗くなっていったようです。(母が消えた家は、笑いも消えて、まさに火が消えたようで家の中が本当に暗く、いたたまれない感じでした。また父の不機嫌な顔を見るのが嫌で友人の家を泊り歩いていました、その時は自分でもどうしようもなく流され、今思うと弱い自分に腹が立ちます)

高校を卒業後、社会人になった私はその後も小さな不幸をひきずり、物事がうまくいかない時は心のどこかで両親の離婚のせいにしていた愚かな私でした。

自分で出来る最大限の努力をしなかったのに、その気になれば夜学で大学に行くこともできた
のに、大学生活を送る友人たちを羨みながら、大学に行けなかった劣等感を抱きながら
東京で生きていました。

そんな私を高1の時からいつも変わらずに励ましてくれていた親友の良和くん。思い返すと、
私がさみしい思いをしていた時、良和くんにどれほど支えられていたかわかりません。
「いつか札幌で一緒に会社を作ろう」が二人の夢でした。本当にいいやつでした。

そんな良和くんを病魔が襲います。 2年あまりの闘病のあと、あっけなく良和くんは天国に
旅立ってしまいます。 わずか24歳の春でした。

なぜ彼が死ななくてはいけないのか?なぜ自分ではなく彼なのか?何の恩返しもしてない
のに。 良和くんの無念さを思い、彼のお母さんの涙を見て、ただただ泣きました。

親友の死を目にして私はようやく目が覚めました。 私は今まで何を甘えていたのか?
生きることすら、ままならなかった親友。 お前には命があるじゃないか! 命さえあれば
どこでも行ける、何でもできる! 生きているだけで十分じゃないか! 情けないことに、
その時初めて自分が恵まれた存在であることを知りました。 そして、親友に対して申し訳ない
気持ちでいっぱいになりました。

それからは、いつもいつも思っています。 いいかげんな生き方をしたら良和に申し訳ない。
良和の分まで精一杯生きたい。 そして、良和に認めてもらえるような生き方をしたい。
いつか天国で良和に褒められたいです。

「お前、頑張ったな!さすが、俺の親友だ!」 と…






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